ある日、稽古場に遅れてやって来た僕に役者のひとりがこんな質問をしてきた。
「中野さん、いくつまで数かぞえたことがあります?」
会った人にいきなり質問を投げかけるのも乱暴な話だが、その内容はそれ以上に乱暴だ。そんな質問、答えを知ったところで、何の役にも立たないではないか。僕が質問の意図をつかめずにいると、別の役者が説明してくれた。聞くと、劇場用チラシの仕分け作業中、皆で数をかぞえながらその話題で盛り上がったのだという。盛り上がるにも他に話題がないものかと思うが、それがハラホロのメンバーであることを考えると納得もいった。結果、殆どの者はせいぜい数百ぐらいまでで、それ以上かぞえた経験はなかったらしい。確かに普通の日常を過ごしている者にとって、それ以上かぞえる必要などないし、あったとしても計測器等に頼るのが効率的だ。僕も皆と同じ程度だろうと思いそう答えようとした。が、その瞬間、はたと小学校時代の記憶がよみがえった。
僕は1万まで数えたことがあった。
それは小学校低学年の頃だ。今にして思えばなぜそんな意味のないことをやったのだろうと不可解に思うのだが、僕はノートに1から順に数を書き込んだことがあったのだ。
「今日は100まで」とか「明日までに500書こう」とか、自分にノルマを課しながら書き込んでいた記憶がある。その最終的な目標が1万だったのだ。学校に行っても休み時間に書き込み、家に帰ってからもずっとその作業を続けた。そして、ノートが一冊、数字でいっぱいになると、僕はうれしさのあまりその都度、友達に自慢気に見せたりもした。数字でびっしり書き込まれたノートを見せられ、友達は一体どんな気持ちだったかと思うと笑い出したくもなるが、そうした張本人がこの僕なのだからちょっと困ったものだ。そういえば、「お前も書けば?」とその友達を誘ってたような気もするなあ。何なんだ僕は。
とにかく、そうして書き続けられた数字はやがて1万に達したのだった。
しかし、どういう訳だか目標を成し得た僕はあんまり嬉しくなかったのだ。ガッカリしたような、悲しいような、気が抜けたヘンな気持ちになっただけで、今すぐにでも友達に見せたくなるような嬉しさはなかった。一体この気持ちは何だろうと困惑したのを覚えている。
子供は虚しさを知らない。虚しさをひとつの感情として認識するのは物心ついてずいぶん経ってからだ。あまり見たことないだろう、「空しいなあ」なんて呟いている子供。大体、虚しさを知っていたら、あんな無理矢理に走り回ったりしない。勿論、数字を1万まで書こうともしないはずだ。
「俺、1万までかぞえたことがあるなあ」
子供の頃を思い出して、そう質問に答えた僕に役者たちは「すごい!」と驚いてみせた。が、目は確実に「もしかしてこの人バカなんじゃない?」と蔑んでいた。
子供の頃は誰だってバカなのだ。
