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tete-a-tete

 tete-a-tete(テタテット)
  :[仏] 差し向かいの対談
HARAHORO SHANGRILA
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program A二人の演出家が
  中野俊成の戯曲を
   それぞれの解釈で
    異なる作品に仕上げる
     『ジュラルミンケース』

その二人の演出家に、
  ハラホロシャングリラ
   主宰 中野俊成が
    お話を伺いました。

 この対談はスペシャルメンバーズ特典として企画されたものです。その一部をご紹介します。
 
 プログラムBの 赤堀二英 VS 中野俊成 対談は、 こちら
2005年10月21日(金)プログラムA 初日稽古を終えて…
於:ハラホロシャングリラ アトリエにて
 
〜僕、デビュー作のお客さんの動員が8000人ですから。〜
 
中野 お疲れさまでした。
板垣お疲れさまでした。僕が今座ってる中野さんの椅子。松澤さんが社長≠フイスに社長≠カゃない人が座ってるのは新鮮だって言ってて(笑)
中野元々、僕が家で使ってた椅子です。ヘッドレストがなくて疲れるから買い直したんです。台本に向かい合ってる時は書いてるより、もたれかかって考えてる時間の方が断然長いから、ヘッドレストがある方がいいと思って。そんなことより、まずプロフィール的なことを教えて下さい(笑)。芝居は大学の頃から?
板垣僕はね、日芸(日本芸術大学)に入って、
中野あっ日芸なんですか?
板垣日芸です、日芸です。早稲田と思われてるんだけど実は日芸なんですよ。友達が「第三舞台」に入って、今度初めて紀伊國屋ホールで舞台やるんだけど人が足りないんで、スタッフでお前入れって言われて面接を受けて(第三舞台に)入ったんです。
中野その時の芝居は何だったんですか?
板垣「朝日のような夕日を連れて'85」。紀伊國屋ホール進出第一弾だった。僕はその時、小道具をやってて。
中野小道具として借り出されたんですか。
板垣第三舞台って元々早稲田大学の演劇サークルで、鴻上さんの「プロになるぞ!」の一声でサークルを脱退したんですよ。同時に僕が入ってすぐにサードステージっていう会社にしたんですけど、それまではスタッフって、出てない役者さんがやってたのを専属のスタッフを入れる、と。劇団としてスタッフをやる人を育てるというか、仲間に入れたいっていうんで入った第一号なんですよ、僕は。で、だから最初は、「この小道具は誰が持ってくるんだ!」って言ってるから、「えっと、じゃあ俺が?」って言って、たまたまその公演は僕が小道具係になってしまった(笑)
中野それは劇団として始めて何年くらいだったんですか?
板垣劇団として5年目でしたね。
中野5年目で会社にするって、早熟だなぁ。じゃあ、元々は手伝いで入ったという感じなんですか。
板垣そうですね。演出になりたいと思ってた訳じゃないですし、役者になりたいと思ってたんで、鴻上さんにも、「俺、役者やりたいんすよね」って言ってたし(笑)
中野え?じゃ、舞台にも出てるんですか?
板垣いや、第三舞台には出たことないですけど、それ以前にはやった事ありますよ。
中野自分たちで劇団を作ってたとか?
板垣あーそれはないですね。そういうガッツないんで(笑)。他力本願。第三舞台に入ったのも、友達に台本読ませてもらったのがきっかけ。第三舞台、観てなかったですから。(演出家鴻上氏の読み方が分からず)『名前、何て読むの?』ぐらいのレベル(笑)。でも、鴻上さんの本が面白くて、こういうところに入るといいんじゃないかと。でも入ってみたら、風通しのいいところも合ってたし、なんか勉強になるだろうなって軽い気持ちでやっていましたね。そこで、「よし!俺も一旗揚げて自分でも劇団を!」と思わないところが俺のガッツのなさで(笑)。やっぱそういうタイプじゃないと思ってたんで、ま、他力本願ですよ。
中野そういう時期がどれくらいあるんですか?
板垣そっから入ってずっと鴻上さんの演出助手をやっていたと思われてるんですけど、僕がやってたのって実質5年だけなんですよ。演出助手やってたのは。'85年〜'90年まで。'90年ちょっとくらいには僕サードステージ離れてるから。もう10年以上、フリーでやってます。
中野あっそうなんですか?じゃあ、演出をするようになったのはいつ頃からですか?
板垣僕が演出デビューしたのが'90年で『デーモン小暮閣下一悪魔芝居』というのがあって、一人芝居だけど、「一人」って書いちゃダメなんですよ。「一(イチ)悪魔芝居」(笑) 「人」でなくて、「悪魔」(笑)。それが僕のデビュー作で、僕と同期のスタッフだった、今をときめく戸田山雅司脚本家大先生が脚本を書いたんです。
中野やるキッカケは?
板垣僕と戸田山くんと、もう一人美術の小松くんていう3人がいたんです。その3人が専属のスタッフで、(会社側が)「こいつらまとめてデビューさせちゃおう」って言うんで、「いいすっね」って言ってやっちゃったんです。
中野それはサードステージがプロデュースで?
板垣そうです。デーモン小暮閣下のプロモーションビデオならぬプロモーション芝居。プロモーションビデオの予算をそのまんま芝居に使ったんです。
中野劇場は?
板垣スペースゼロ。
中野最初っから、でかいとこでやったんですね。
板垣私、人生で始めて演出した場所がスペースゼロですよ。そこでやったのは2日だけだったんですけど、その年の秋に今はなくなっちゃた、浅草のトキワ座という映画館でロングラン公演したんですよ。だから僕、デビュー作のお客さんの動員が8000人ですから。
中野それはすごい!
板垣で、2本目が『シアターアプル』!(笑)
中野なんだそれ!(笑)
板垣シアターアプルでは、鴻上さんの『デ・ジャヴ』っていう戯曲をやって、古田新太、松重豊、西牟田恵、っていうそうそうたるメンバーで、第三舞台が一番ピークな時期。ロンドン公演へ行く直前にやりましたね。それも動員は8000人なんですね。で、3作目が三谷幸喜さんとやった『ヴァンプショウ』で、それも8000人くらいなんですよ。
中野最初からそんな大舞台を経験出来るなんて恵まれてるなぁ。
 
 
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